半田国際交流協会
Handa International Association


 

徐州市青年路小学生の来日感想文

友好小学校の亀崎小学校との文化交流や半田市内観光や日本福祉大学などを見学し、新幹線で東京へ。いろんな体験や経験をしました。(16通)


楽しい一日  
徐州市青年路小学校5年 7班 高一フ


夏休み、私たちの学校は日本旅行団を結成しました。私はとても興味があり、申し込みました。そして訪問団は日本へ向いました。

7月10日、私たちは日本国愛知県半田市へ着きました。ここの風景は、とても美しくて、空気も澄んでいて、とても気持ちが良かったです。街を歩いていても、警笛の音はなく、たとえ連れ立って歩いている人も少しの音さえもでてない。 とても早く、私たちはホテルに着いて、少し休憩した後、半田市の市長を表敬訪問に行きました。明日は、亀崎小学校へ訪問に行きます、私はとても興奮しました。

次の日、7月11日ですが、私たちは、車に乗り、亀崎小学校へ着きました。 あっ!ここも大きくて、とても綺麗だ!。中学校のように大きい!。門にはいると、小学生たちが、列になって、私たちを歓迎してくれました。そして、すぐに中にはいりました。学校の中では、小学生は、みな専用のスリッパに履き替え ました。私たちも当然例外ではありません。準備してなかったけれども、スリッパに履き替えるしかなかった。 この学校は本当にきれいだ!と思いました。

芸術交流活動がついに始まった。そのとき、とても美しい歌声があり、私たちは、体育館へ入りました。着席したあと、すぐに鳴り止まない拍手があった。そして、双方の代表挨拶がありました。私たちは、半田市の主要なところを見学し、そして亀崎小学校の生徒たちが私たちの為に演奏している曲に耳を傾け、私は、その中に、酔いしれてい ましたが、大きな拍手がわたしを起しました。やあ〜、わたしたちの書画を披露する番だ! わたしはすごく緊張した。わたしの周りにあんなにたくさんの人がいて、わたしは本当に思ってもみ ませんでした。時間がとっても遅く感じ る。しばらくして、私はやっと絵を描き終え、ひと息をついた。日本人が見てどのように思うかわからないが、でも、中国の恥さらしにならないようにと心の中で思いました。

少しして、交流会は終わりました。 そして、わたしたちは日本の友人たちと一緒に給食をとり、最後に惜しみながら、そこを別れました。  その日、わたしたちは、日本の科学館と博物館を見学し、中の展示物は珍しくて、とても感心しました。 本当に楽しい1日でした。
 


日本の旅    
小学4年生(8班) 顔純一

これは特別な旅行で、なぜなら、10歳に満たない私が出国し、日本へ行き、一週間の文化芸術交流活動をするからです。 7月10日のこの日、わたしは青年路小学校の芸術交流代表団がついに海を越えて、日本の土地に着き、半田市へ到着しました。

半田市政府のみなさんに熱烈な歓迎を受け、又、心温まる歓迎会をしてくれました。次の日、わたしたちは、わたしたちの学校と友好関係にある亀崎小学校へ行きました。ここでも、同じように、生徒たち全員の熱烈な歓迎を受けました。 亀崎小学校の体育館内で、芸術交流会活動が行われ、又、両学校が別々に準備しておいたプログラムを演じました。

書画芸術団の一員のわたしはその場で一幅の絵を描きました。わたしが絵を描いていたとき、たくさんの日本の小学生が机の周りに来て、細かく見ていました。わたしの周りをびっしりとずーっと取り囲んでいて、わたしも気持ちが高ぶり、心がペンペンと跳ねる・・・・・大体20分ほど過ぎたころ、わたしはやっと作品を完成させました。わたしたちの学校の風采を充分に展示しました。 交流活動が終わった後、わたしたちと日本人小学生は、一緒にお昼ご飯を食べました。わたしは、日本の小学校で過ごした時間に、心から感動を受けました。  

その後の何日かは、わたしたちは、半田市博物館や、プラネタリュームや、名古屋電気博物館、日本福祉大学、科学館、そして、東京博物館、NHKテレビ会館などを見学しました。すべてのところは、わたしにとても深い印象を残しています。 今回の日本旅行は、極めて大きくわたしの視野が広がり、わたしの生活経験を豊かにしてくれました。

日本の高い科学技術や、半田市の綺麗で美しい、そして日本人の衣食住などなど、わたしには、本当にたくさん教えられることがあり、永久に忘れ去ることはないでしょう。 この旅行を通じて、わたしは心に決心をしました。それは、必ず一生懸命勉強し、大きくなったら、一国の責任を担って立つ人になり、将来、わたしたちの国を更に豊かで美しい国にしたいと。
 


日本旅行記  
徐州市青年路小学校4年(5班)陈嘉澍


今年の夏休み、わたしたち青年路小学校は、日本の半田市亀崎小学校の招待を受け、亀崎小学校と芸術交流訪問をしました。今回の活動は、わたしたち青年路小学校は、二つの芸術団、青青書画苑と交流楽団が派遣されました。わたしは青青書画苑の団員です。

幸運にもこの活動に参加できました。7月10日わたしたちは飛行機に乗り日本へ到着しました。日本では、わたしたちは、こころ温まる、そして厳かな接待を受けました。半田市長と議長がわたしたちと会ってくれました。日本で、わたしたちは、日本の友人たちにわたしたち青年路小学校の文化風采を披露しただけではなく、日本の半田市のほかに、東京、名古屋の文化などを見学しました。

 
(一) 日本の民族体験 日本はアジアの東側の太平洋上に位置しています。日本の国土面積は、わたしたちの国の面積の26分の一です。日本の地理は、特に海岸線はとても複雑で、火山も大変多く、渓谷も深い。日本での短い数日のうちに、わたしたちは十数回の地震に遭遇した。 又、日本でいろんなところで、漢字を目にしたことは、わたしにとても親しみを感じました。

しかし、昼食の味は、わたしたちみんなは、お世辞も言う勇気がなかった。日本は島国ということで、魚を食べるのが好きです、朝ごはんに魚があるだけではなく、昼にもお刺身があ ります。ご飯の中にも海のものが入っているようだ。どこでも魚三昧の感じがしました。

日本へ着いて初めて知ったのですが、以前頭の中で思っていた神秘的な畳は、実は、床だった。あじわいあるなー。お風呂は、日本人の生活の中でとても重要な一部分で、湯船は更に味わい楽しむものだ。だから、わたしたち子供は、日本にいるとき、お風呂の中での湯船がとても好きだった。大きなプールで泳いでいるようで、とても気持ちよくて、面白い。

 わたしたちの学校で友好関係にある亀崎小学校は、日本の半田市にあります。半田は日本の愛知県知多半島の真ん中あたりに位置し、交通も便利で、海にも陸にも道が四方八方につながっています。  半田でもっとも重要な民俗のまつりは、山車まつりです。

山車まつりのときは、各地区にはいろんな装飾を施した山車が出て、市内をまわります。山車はとても大きく、美しく、そしてたくさんの美しい彫刻が施され、中の装飾も繊細で美しく、まるで宮殿のようです。山車の上には、からくり人形の舞もあります。山車の上には、国旗もあります。更に注意してみると、布の上の家紋や字はそれぞれ違い、彼らがどこの地方の人であるかを表しています。山車の前面には、十数人が紐を引っ張ったり、棒を持ち上げて歩いたり、後ろのほうも同じである。  

精巧な山車は、わたしをとりこにし、日本のこの様は特殊な国の民族に感動を受けました。


(二) 亀崎小学校
7月11日、朝ごはんを食べたら、先生は、わたしたちを連れて、バスに乗り、亀崎小学校へ行きました。 亀崎小学校の校門で、日本の先生や生徒たちが、手に花と両国の国旗を持って、並んでわたしたちを歓迎してくれました。彼らは、日本語的中国語で大きな声で“ニイハオ、ニイハオ”と言っていた。手には、小旗を振りかざして熱烈に歓迎してくれました。

会議室で歓迎会が開催されました。 わたしたちはまず、靴を脱いで、スリッパに履き替え、校門に再び入りました。歓迎会のとき、日本の学校の校長先生と先生たちからたくさんの温かい言葉をいただきました。(当然だけど、わたしは聞いてわかりませんでした。ただ、彼らの表情のみを見ていました。)会議室の壇上には、いろいろな立体的な凧があり、とても綺麗でした。もともと日本の小学生たちが作ったものです。本当に器用です。 歓迎会が終わった後、わたしたちは学校の中を見学しました。

学校の後ろの花壇は、本当にたくさんの植物が植えてありました。白菜までありました。これらは、全部毎日観察するためだそうです。 学校が小学生たちの為に考えられたもので、そして、かれらが自分で植えました。秋が来たら、自分たちで植えたものに実がなり、彼らは互いに喜びを分かち合うのです。  

学校の運動場(体育館)で、わたしたちは正式な交流活動をはじめました。 日本の子供たちがまず先に演じました。彼らのパアニカのやさしい音色にとても感動しましたが、私たちが演じるときも、うまくやるよ。 青青書画苑の隊員たちは、中国から持ってきた筆や墨や紙や、すずりを出し、間隔を少しあけて各自の絵を並び始めた。

しばらくして、ひとつひとつそれぞれ特徴のある文字や絵を日本の小学生たちの前で書きました。実は、わたしの心の中は、とても緊張していて、間違いが出ていないかどうかひやひやしました。(これは、国の為に栄光を勝ち取っているんだ!)大丈夫、間違いないよ。 わたしは道具を片付け、自分の席に戻りました。

次は、わたしたちに楽団の出番だ。彼らが演奏したのは、中国の名曲(茉莉花)などのほか、日本の民謡(北国の春)も演奏しました。日本の小学生たちの熱い拍手を受けました。 別れのとき、日中両国の子供たちが相互にプレゼントを交換し、冗談を言ったりふざけたり、わたしたちはひとつになりました。 彼らは、とても人情が厚く、とても心が温かい。彼らは永遠にわたしたちの良い友人です。


(三) 珍しい南知多ビーチランドにて
今日は日本へ来て3日目です。先生たちは南知多ビーチランドへ連れて行ってくれました。ビーチランドへ着いたら、わたしはすぐに夢中になった。わたしは、イルカの形をしたテントの中に、たくさんの観覧席があるのを見ました。他に大きな無料遊技場やいろんなお店もありました。

わたしたちはまず、小屋の中に入って、イルカを見ました。そしてイルカや鯨のショーを見ました。イルカはとんぼ返りができる。アシカは、手をたたいたり、挨拶ができる。鯨は塩を吹くときには、わたしやみんなの身体にも水がかかった。 又、ある小さくて白い鯨は、特別可愛かった。わたしたちが写真をとりさえすれば、鯨はきっと嬉しいでしょう。ある時、もう一匹の鯨と一緒にポーズをとり、わたしたちに写真を撮らせてくれた。

ここには、本当にたくさんの海の動物がいました。ゾウアザラシの身体は、とてつもなく大きかった。まるで動物園で見た大きな像ほどの大きさだった。皮は太くて厚く、身体は黒々としている。あなたも初めてみるときはそれが醜いと思うと思うけど、よくよく見ると、きっととっても可愛いと思うでしょう。その大きな大きな両方のむき出した牙や、小さな小さな頭や、本当にとってもこっけいで可愛いです。  

ペンギンは、動かないアヒルのようだ。あるペンギンは室外にいて、細かい毛がふわふわしています。ペンギンのリーダーは氷の中で生活している。ペンギンの身体はつるつるだ。まるでセンザンコウのうろこのようです。 私が好奇心でその動かないペンギンをじっと見ているとき、足の辺りで、まんまるいものが突然、転がりだした。あれ〜?ペンギンが卵を産んだ・・・


 タツノオトシゴはとても小さい。たった一つの指ぐらいほど小さい。小さいタツノオトシゴは、お母さんから生まれて、そしてお父さんの袋に入って大きくなるのです。タツノオトシゴの頭は馬に似ているから、この名前になった。  海の動物を見終わってから、わたしたちは、無料の遊技場に行きました。 摩天楼や、海賊船などなど、すごく刺激的でした。

わたしたちの徐州にも海洋館はありますが、半田市の海洋館は、海に通じていました。ここでは、本当に感動を受けました。これが本当に海の世界だと思いました。


(四)日本福祉大学
福祉大学は日本の半田市にあり、今日、わたしたちは、バスに乗ってここまできました。福祉大学のまわりは、無数の木々で囲まれ、まっすぐにそびえ茂り、草木も青青と茂っている。ひとつの白い島が青青とした世界の中に立っているような、この白い小島が福祉大学です。本当に静かである。 わたしたちは、校長先生について、学校の中に入った。

1階は図書館です。中には人がいっぱいです。でも、音ひとつも聞こえてこない。中にいる人は、みんな頭をたれ読書をしている。本当に秩序正しいです。私はちょっと中に入ってみた。意外にも目の見えない人の本まであった。

2階は、コンピューター室です。先生たちが正に学生たちにコンピューターを教えていました。

3階は、学生の宿舎です。その中には、何百のベッドがある、そのベッドは4段ベッドで、毎段に二人寝る。

4階は、教室です。そこには、たくさんの教室といくつかの事務所があります。教室の中には、塵ひとつなく、髪の毛一本もないほど綺麗である。事務所の机や椅子は、とても古いもけれども、まだとてもきれいである。

5階は、食堂です。食堂の半分は、すべて透明ガラスで、この中から景色を見ながらご飯を食べることができる。今日のお昼、わたしたちは、ここで食べることになっている。ご飯はとてもおいしかった。カレーライス、果物サラダ、チャーハン、ビーフご飯、ハム・・・・
 

6階は、スーパーです。そこにはいろんなものが豊富にあります。本や、学用品、生活用品、食品などなど、学生生活にはとても便利です。

7階は、実験室です。現代化の実験室は、大学の高い科学技術を示しています。目の見えない人が来ても、どの実験室も入り口の押しボタンを押すだけで、機械に入力することができる。 ここでは、わたしたちは先生の指導の下、実際に使ってもみて、感動しました。 福祉大学は本当にすごいところです。もし、私が大きくなってここの大学へ留学できたら良いなーと思いました。


(五) 科学館(省略) 東京へ着いたら、科学館へ行かないわけがない。
(六) 政府の摩天楼(省略)


(七) わたしは感動しました。
今回の日本への訪問は、先生方の多くのご苦労や、多くの精神力が凝結し成り立ったもので、私はとても感動しました。 活動の始まる前、先生たちは、あちこちへ行き、手続きをしたり,列車や飛行機の予約をしてくれた。わたしたちのレベルを上げるために、先生たちは休みを返上して、苦労をいとわず指導してくれた。声がかすれ、腰はまっすぐに立たなくなるぐらい疲れていた。毎日朝早く起き、夜遅くなって家に帰っていた。わたしは本当に感動しました。

 日本へ来るとき、初めて両親と離れたわたしたちは、何もわからず、心細い感じや、怖い感じもしましたが、先生たちはわたしたちのおとうさんやお母さんのように、わたしたちの世話をしてくれました。私は本当に感動しました。

日本では、先生はわたしたち49名の子供を連れての訪問、観光や、組織の規律を守るため、声をからしていました。そして、先生たちは、又、わたしたちに日本に関することを、その喉の痛さをこらえ教えてくれました。 迷子にならないように、病気をさせないように、又お腹をすかせないようにいつも気を配ってくれました。

日本から帰るとき、台風や地震の為に、飛行機が遅れました。先生たちの気持ちはとても焦り、40数人の子供たちの安否はどうなるか・・・上海の予約した電車はどうなるか?もし何か起きたらどうすればいいか?・・・と。 学校は人に頼んだり、上海の友人たちに夜中まで連絡を取り、チケットのキャンセルとか、車の手配とか・・・・わたしたちはやっと無事、家に帰ることができました。

わたしは本当に感動しました。 先生たちは、わたしたちにこんなにたくさんのことをやってくれましたが、見返りなど考えていない。本当に感動しました。
 


日本の印象      
青年路小学校 六(5)班  陈 隽石

7月10日の夜、東駅の広場でお父さんとお母さんと名残を惜しみながら別れた後、わたしたち青年路小学校の日本文化技術交流団は、すぐに上海浦東国際空港でMU559便に乗り日本へ向かった。8日間の訪問交流活動です。 日本の国に着いてから、わたしたちは、温かい友好関係の雰囲気に終始包まれました。この8日間の旅行を振り返り、日本は、わたしにたくさんの素晴らしい印象を残しました。


★清潔でとても気持ちが良い・・・
日本の大都市東京、名古屋は、わざわざ言う必要もありませんが、わたしたちが今回訪問した都市の半田市さえも、綺麗で整備された道路や、いろんな家や、完備されたサービス施設などは、塵ひとつなく綺麗です。

亀崎小学校で、わたしたちが書画を披露しているとき、墨が跳ね上がらないか、綺麗な教室を汚さないようにと心配でした。わたしたちが泊まったホテルは、豪華で立派ではないけれども、しかしとても綺麗でさっぱりしていて上品でした。わたしにもっとも強い印象があるのは、日本のトイレは全部ウオシュレットだということです。便利で気持ちよく、申し分ないです。


★謙虚でとても礼儀正しい・・・
映画のドラマで、いつも日本人のお辞儀は特に頻繁で標準的にしていました。今回の日本旅行でも、わたしは日本人の謙虚でとても礼儀正しいことを確実に感じ取りました。亀崎小学校で、わたしたちは熱烈な歓迎と盛大なおもてなしを受けました。半田市の道路を歩いているときも、友好的な日本人はわたしたちが遠くから来たのを見て、笑顔で挨拶をしてくれ、わあ〜、とわたしたちを温かく囲んでくれました。


★人や文化を敬う・・・
日本で、わたしたちは半田海洋館、電気博物館、市立博物館などを見学しました。これからはすべて学生たちの為に無料で開放されている。わたしは他に、障害者が勉強できる専門の大学―福祉大学―を見学しました。日本の80%の障害者はここで勉強をしている。

この中は、障害者の為に設計された食堂や、商店、トイレなど公共施設がいたるところにあり、どこも綺麗に完備されている。 半田では、わたしたちは、盛大なおもてなしを受けました。市長や、秘書課長たちが、雨の中迎えて入れてくれました。歓迎会で接待してくれました。又福祉大学でも、亀崎小学校でも、温かく迎えてくれ、私は、彼らの私たちへしてくださったことにとても尊敬いたします。


★先進的な科学技術・・・
日本で、わたしはついにインターネットで見ていた新幹線に乗ることができました。この交通手段は、特に興味を持っている車好きに、十分堪能させてくれました。飛ぶような速さは今でもそれを思い起こします。路上では、いろいろな省エネ車が往来している。科学技術の進歩や資源意識を十分に感じ取ることができる。  


★栄養について・・・
これは、私が日本の飲食についての印象です。亀崎小学校だけではなく、福祉大学の学生食堂で食べたときも、市主催の歓迎会のときも、日本食は、ほとんどあまり炒めたり、油で揚げてなく、いくつかの種類で極めて少ないけれども、簡単で、しかも栄養はある。学生食堂で配られて牛乳は特別おいしかった。


 徐州に戻り、家に帰り、いっぱいのスープを飲み、油で揚げたパンを食べが、やっぱりおいしいと思った。先進国を尊敬する傍ら、自分の国も、いろいろ努力しなければならないし、そして長所は取り込み、短所は補わないと?と思います。
 


イルカショウを見て・・・
徐州市青年路小学校 6(7)班 陳明睿

わたしはかつて、香港の海洋公園へ遊びに行ったことがありますが、イルカの生き生きしたショウは、確かに素晴らしかった。しかし、わたしは日本の海洋公園(南知多ビーチランド)へ行った時、ここのイルカのショーも同じように素晴らしく、わたしは目を見開いてみました。  

その日、わたしはイルカショーのところに座って、じっとショーを見ていました。やっと二匹のアシカが出てきた。係員がいろんな色のボールを水の中に投げると、一匹のアシカが飛ぶように行って取って、岸まで来た。丸いボールは、アシカの光った頭のうえで、まるでくっついているようだ。

そして舞台のところへ行ったとき、熱い拍手がおきた。そして、係員は、又もうひとつ輪を水の中に投げ入れたら、もう一匹のアシカが泳いでいき、頭を伸ばして、その輪をアシカの首にかけた。係員は、次から次へと5〜6個の輪、全部を投げいれた。アシカは、間違いなく次から次へと手元が狂うことなく、輪を拾い集めた。そして岸に泳ぎ着き、観衆へ向かって、お辞儀をし、首の上の輪を全部地上に落とした。観客の大きな笑い声が響きました。  

もっとも感動させられたときがあった。係員が、地下の出口から5匹のイルカが放された。一匹のイルカは、飛ぶように水面を泳ぎ、突然、空へ飛び上がった。彼の頭が勢い良く水面から5−6メートル離れた高さにある赤い風船にあたった。

観客の拍手は割れんばかりであった。続いて、三匹のイルカが一度に飛び上がり、高低に飛び泳ぎ舞い、大空の下、うつくしい線を描いていました。彼らの一匹一匹がみんな風船にタッチし、地上へ飛んだり、水中へもぐったり、水の花が咲いたように1メートル以上のしぶきがあがった。人々の拍手は止まなかった。大きな声で、すごい!すごい!と。わたしの手も拍手で赤くなった。

このとき、係員は、ひとつのボールを低いところへ置いた。一匹の頭の大きな、まるで鯨のようなイルカも、空中に舞い上がった。そして尾びれで力いっぱい飛び、ボールにタッチし、ボールは弾んだ。又、突然一匹のイルカが水面に飛び出し、まるで、バレーダンス一員のようで、空中で二つの輪をぐるぐるしたり、その美しい姿は、わたしたちをとりこにしました。パン!と言う音で、イルカは水中の中へ飛び込んだ。みんなは、はっと気がついて、申し合わせたかのように声を上げた。  

イルカの生き生きしたショーは、わたしたちを楽しませてくれ、クライマックスを迎えた。拍手や声援はずーっと続き絶えなかった。いつも間にか、ショーは終わってしまった。 みんなは、まだ終わってほしくない気持ちで、海洋公園から帰るのがとても名残惜しかった。


亀崎での楽しいこと
徐州市青年路小学校 6(4)班  劉茹心


夏休み、わたしたち徐州市青年小学校の先生と生徒38名の訪日団は、日本の半田市亀崎小学校へ到着し、しばらく交流活動が執り行われました。私は、亀崎小学校での経験が忘れられず、それは、とても興味深いもので、今でも思い出しては、おなかを抱えて大笑いすることがあります。  

わたしたち訪問団は、まず、亀崎小学校の先生や生徒たちに、生き生きとした書画を描き演じたり、楽器演奏をしたり、又、彼らがわたしたちの為に、興味深い日本伝統の民謡「八木節」を演じました。そして双方の演出がすべて終わり、大きな拍手が広がりました。  午後、わたしたちと亀崎小学校の生徒たちは、一緒に美味しい給食を食べました。

わたしは6(3)班で、わたしと比べて一学級上のお姉さんやお兄さんと一緒に食べました。  お昼を食べ終わってから、とても面白いことがありました。

 私がいた班の先生が突然、わたしが着ている団の服を指差して、流暢な日本語で話した。わたしは、服が何かで汚れているかと思い、細かくチェックして、手ですばやくはらっているとき、その先生は、何やら突然わかったように、紙と鉛筆を持ってきて、決してきれいとは言えない文字で整然と「学校の服?」と指を使ってわたしが来ている服をさした。わたしはこのときはっきりわかった。 あわてて「これはわたしたち訪問団のための制服です」。そして続けて、わたしたちは、紙に書いて楽しく交流をしました。

突然、先生が紙にとっても滑稽なことを書きました。「配給美味」わたしは彼女が何を言っているのかさっぱりわからなかった。不思議そうな顔をして彼女を見て、頭の中ですばやく考え、そして思った、彼女は何を言いたかったのかな?と。彼女はわたしの為に、しばらく筆を用いて机の上に一生懸命試行錯誤して いました。そして又、書き順を換えて「美味配給?」と。わたしはますます混乱してしまった。まるでお坊さんが頭を抱えて、思考錯誤しているようだ。そこで、わたしは両手を並べ、肩をすかし、不思議そうに頭を揺らした。

このとき、わたしと一緒に座ってお昼を食べている日本のお姉さんが、すぐにその先生のところへ寄ってきて、日本語でしばらくいろいろ話していました。しかしわたしには、まったく何を言っているのかわかりません。もともと言葉がわからないので。交流は本当に困難になってきた。そのとき、わたしは思いました。もし、私が日本語を流暢に話せたらどんなにいいかと。

最後にそのお姉さんがわたしのところへやってきて、口をすぼめて、少し考えたあと、もう一度言葉を書いた。「飯菜美味?」と書いてから、笑顔でわたしを見て、これでわかった?というようで した。このとき、わたしはやっと彼女がわたしに聞いたのは、ご飯が美味しいかどうかと尋ねているということがわかりました。わたしは急いで、親指を出しながら、「yes」と言った。先生とそのお姉さんは、私が滑稽なのほど笑っているのをみて、肩の荷を下ろしたように笑い出し ました。

楽しい時間はいつも短いもの、通訳のおばさんがわたしたちに集合をかけました。 日本の小学生たちは急いで、千代紙で作った折鶴とか、又、他の手作りの作品をわたしたちにくれました。たとえ手軽な贈り物でも、彼らの気持ちを表すのには十分です。一般的に良く言う、「贈り物はわずかでも、義理と人情は厚い」と。 毎回、亀崎小学校のことを思い出すと、わたしは、思わず笑い出したり、本当に、味わいが尽きない。


日本訪問、半田市の思い出
徐州市青年路小学校 5(5)班 郭子h

日本の半田市へ着いた。半田の空はとても青く、空気はとても新鮮です。半田市へ向かう途中では、道の両側に大きな樹木がたくさんあり、木の下には、青青とした芝生があり、又たくさんの色彩鮮やかな小さい野花があり、それらは、とても綺麗でした。わたしは、木陰を歩いてさわやかな世界へ入って行ったかのような感じがしました。時折、花の香りがして、心がゆったりとして気持ちをよくさせ、生き生きさせてくれます。  

目の前の青く澄んでいる樹木や、かぐわしい小花や、清潔な道路、わたしは日本人が環境を大事にしていると思わずにいられなかった。日本人の環境保護意識についてはとても敬服します。わたしの故郷も正に発展が進んでいますが、環境もますます美しくなってきています。みんなが努力して、これから、草花や木々を大切にし、わたしの故郷、徐州の空が半田市よりも青く、空気も半田市よりも新鮮にしたいと思う。

 
★日本の新幹線の思い出
7月13日、わたしたち青年路小学校芸術訪問団は半田市の友好交流訪問を終え、名古屋から新幹線に乗って、日本の首都、東京へ向かいました。わたしは始めて新幹線に乗りました。新幹線の車両に入ると、中は広くて明るい。数十の座席があり、すべて窓に沿って、整然と並んでいた。わたしはすぐに席を見つけて座ると列車は発車した。  

窓から外を望むと、一軒一軒の家々が見の前から吹きすさぶように過ぎていく。家々の後ろのほうには、高く切り立っている青い山々が連なってそびえ、白い雲は山頂を取り巻いていて、まるで白い帽子をかぶっているようで、とても美しい。  

列車は飛ぶように走り、すぐに日本の首都、東京へ着いた。日本の新幹線はほんとに速い。  稲妻のような新幹線は、日本の高い技術の結晶です。それはわたしたちの旅行や、仕事、勉強の為に、不滅の貢献をしているし、人々の生活を更にすばやく便利にしている。  

新幹線から降りて、わたしはわたしたちの国の「和諧」号中国の列車と、まもなく できる中国の新幹線を思い出さずにはいられなかった。それは、わたしたちの国の経済の発展にとどまることはなく、科学技術も進歩し、すでに国家水準も先進国レベルに到達している。帰国した後、時間があったら、わたしは必ず自国の中国の列車に乗ろう!  わたしは自分の国の壮大な発展にとても誇りを感じています。


訪問
青年路小学校 5(5)班 韦腾飞


今日は、もう二日目です。わたしにとって最高に楽しい一日でした。 清らかな朝、わたしたちはバスに乗って、日本福祉大学を見学に行きました。まず、わたしたちは図書館へ行きましたが、そこにはたくさんの学生がいました。先生は、わたしたちを、図書館に着いたらすこし静かにさせた。

先生は、わたしたちに「ここは、とても上品でモダンで文化も高く、そして身体に障害のある人たちを重視しています。」と言いました。たとえば、目の見えない人用のエレベータも設置されている。身体に障害のある学生は自分では階段の上り下りことができないので、彼らの為に専用のエレベータが設置されている。

又、トイレの中では、障害者用の便器も設置されている。図書館の中では、目の見えない人がわかるように、視覚障害者誘導用ブロック(通路)や、彼らのための本がありました。図書館には50万冊の本があります。その図書館は小さいですが、しかし50万冊の本が置かれており、わたしたちを驚かせた。  

お昼には、わたしたちは福祉大学でお昼ご飯を食べました。午後は、わたしたちは、南知多ビーチランドへ行き、生き生きしているイルカのショーを見ました。

夜は、わたしたちは送別会に参加し、そしてホテルに戻りました。わたしたちは、荷物の整理をし、明日の朝早く東京へ行く準備をしました。 半田市での旅行中、わたしは大変楽しく、又、半田市の人たちの温かい気遣いと親切にとても感謝しています。


初めて新幹線に乗って      
青年路小学校 劉光宇


夏休み、学校で組織されたわたしたち訪問団は、日本へ交流訪問に行きました。新幹線に乗る機会があると聞き、わたしは始めて銃弾のような新幹線に乗ることが出来るので、わたしは飛び上がるほど嬉しかった。 日本の半田市でいろんな交流活動をした後、わたしたちは、予定通り新幹線に乗って、東京見物に行きました。途中、わたしは喜びを隠しきれなくなり、心が浮き浮きしていた。

わたしたちは日本の名古屋駅に着いたとき、レールの上に銀色の飛ぶ龍のような列車が見えたとき、流線型に設計された外観、まるで銃から飛び出した弾が噴出したようなで、それは、普通とは違う姿形でよく目立つ。 チケットの検察後、わたしは待ちきれない気持ちでいっぱいだった。列車内は、車内放送や、電子案内版など何もかも完備されている。

すべてわたしの好奇心を刺激した。わたしはあっちこっちと見た。先生はわたしたちを座らせたその時、列車はすぐ発車しますと告げた。 この銃弾のようにスタートした。列車は、極めて静かに進んでいった。 わたしはほとんど振動を得た感じはなかった。列車の速度は進めば進むほど早くなった。ただ目の前からいろいろなビルがまたたく間に通り過ぎていく。

アナウンスによると、新幹線のもっとも速い速度は、毎時約400キロだそうだ。このとき、わたしは大きな橋が見えたので、写真機を取り出し、それを撮ろうとしたとき、あれ?あの大きな橋はどこへ行っちゃった?仲間のひとりが、あの橋は、もう通り過ぎたよ、って。

名古屋から東京まで500キロの道程ですが、ほんのわずか1時間半ちょっとで着く。ほんとうに、今日は本当に目を見張るような一日で、高い技術の魅力を肌で感じとることができました。


倹約と言われている日本を訪問
徐州市青年路小学校 6(7)班   王c晰

倹約、これはどんなにか知られた文字でしょうか。倹約と言えば、中国人のみんなは、その意味を語ることができるし、又、昔からたくさんの事例が話されてきた。しかし、彼らは倹約にどんないいところがあるかはわかっているけれども、それをしようしない。倹約は、無駄をせず、民族精神を持ち、国家が富強であることの代表で す。  

わたしは日本の半田市の亀崎小学校に行って、小学校の給食を経験しました。わたしは、教室に入って、生徒たちみんなと、流暢ではない中国語で「ニイハオ」とわたしに言い、わたしは日本語で「こんにちは」と答え ました。

そしてその後、わたしたちは座って、給食を食べました。わたしは箸を持ち、野菜を一口賞味しましたが、これらのご飯があまり美味しくないと感じました。わたしはすばやく食べ終わってから、他の小学生のお碗をみて、まだ食べ終わっていなくて残ってい ました。わたしはお皿を運んで、大きな鉢に入れました。このとき、日本の小学生も食べ終わっていました。横目でちょっとみたら、彼らは、1人も残してい ませんでした。わたしは本当に驚きました。

わたしは、わたしたちの学校で食べるのを思い起こしたが、そこでは、わたしたちの仲間は、しゃべりながら食べて、そして、2〜3口食べたら全部捨て、大きな鉢の中は彼らの食べ残しでいっぱい でした。  

中国は美しくて、豊かで、強く、倹約で、調和の取れている民族です、そして中国の国民経済は正にすごい勢いで発展し、世界の競合の中に立っています。が一方では、とても良い伝統が失われてきてい ます。中国人の一人ひとりが、自分のために、自分たちの国の為に、自分たちの人類の為に、わたしたちの優秀で素晴らしい伝統を奮い起こさせましょう。

「みんなでやれば、もっと素晴らしい国になる」  わたしは、倹約のこの様な小さな出来事からも、わたしたち1人ひとりが努力をし、諦めないで、しかも失敗したと思わないようにしさえすれば、必ず勝ちとることが出来ると思います。必ず、わたしたちの国は変わり、もっと豊かで、強い国になるでしょう。


日本への訪問について
青年路小学校4(7)班  郭承毅


2007年7月9日、わたしたち青年路小学校は、芸術交流代表訪問団はしっかり準備をし、一行47名が、日本へと向かいました。そして、わたしたちの芸術交流と観光活動が始まりました。  

半田市と徐州市は、友好都市で、又、わたしたち青年路小学校は亀崎小学校と友好学校です。だから、わたしたち一行の重要な予定は、亀崎小学校を訪問することです。亀崎小学校は、清潔でとても綺麗です。

わたしたちは、体育館で、演出しましたが、演奏した曲目は、中国で有名な「梁祝」「茉莉花」そして日本民謡の「北国の春」「鉄腕アトム」、又、世界的に有名な「ラデツキー行進曲」「F長調ソナタ」「サックスフォーンとサンバ」など、演奏は大成功で、亀崎小学校の全校生徒から熱烈な拍手を受けました。

わたしたちが演奏しているとき、わたしたちの書画院のメンバーは、書道や絵画の作品を展示していました。今回の訪問演出で、わたしたちは、半田市長の優しい接待を受けたり、日本の新聞に載ったり、これらの一切が、わたしたち青年路小学校芸術団メンバーが本当に素晴らしくて自慢できると感じさせてくれました。  訪問演出が終わった後、わたしたちは、この上ない感動と興奮の気持ちで、半田や、名古屋や東京の観光名所を観光しました。

半田市では、日本福祉大学を訪問しました。その後、名古屋へ行き、そこの電気博物館を見学しました。もっとも驚かされたのは、静電気発電を見たとき、意外にも110ボルトの電圧の明かりがついたときでした。 日本に着いて、当然、間違いなく新幹線に乗りましたが、わたしは夢の中でも日本で始めてこの様な人類の高い科学技術の発明に遭うとは思いませんでした。

新幹線に乗ると、日本の科学の発達に驚かされました。新幹線でわたしたちは東京へ着きました。わたしたちは、東京で皇居や東京都庁を見学しました。都庁は、43階建てで、日本の名山、富士山を望むことができ ました。 今回の日本訪問を通じて、わたしにたくさんの体験をさせてくれ、知識も増え、視野が広がり、わたしにとって、忘れがたい思い出となりました。


日本の皇居広場を見学して
徐州市青年路小学校  3(7)班  時辰

2007年7月14日。わたしたち青年路小学校友好訪問団は、日本の皇居前広場を見学しました。皇居前広場は、東京の中心にあり、日本の天皇が住んでいるところの皇居の外の広場です。そこには、古い歴史があり又壮大な日本皇居があり、皇居の周りを囲んだ堀があり、又、高々とした塀、青青と茂った樹木があり、又、小高い丘や、お堀にかかっためがね橋があり、広場の真ん中には、日本武士像が聳え立っている。  

天皇広場(皇居前広場)の景色はとても美しかった。まもなく台風がやってくるので、大雨が降り出した。いままで周りに、ひっきりなしになって走っていた車の音が聞こえなくなった。皇居前広場は本当に静かになった。雨はわたしたちの傘の上に降り、正に太鼓をたたいているようだった。時折、雨は泥を打ちつけ 、やわらかい泥は、かすかな香りを出して飛び散った。

雨は又、透き通っていたお堀の水に何層かのさざなみを立てた。更に繁華街の東京は幾重にも味わいを添えた。古人は曰く、「水清ければ魚住まず」。お堀は、透き通っているにも関わらず、魚はいない、しかし、対のおしどりが自由に遊んでいます。

お堀のそばに立って、わたしは、このお堀は、皇居を保護する重大な任務であるが、深くて底は見えないのに、どうやって、その効力を発揮するのでしょうか。スパイはまだ忍び込んでいないのか?とか思った。 お堀の対岸には、高々と聳え立つ壁があり、高さは約8メートルぐらいで、そこには緑の木で茂り、風が吹くと、木々の葉がさらさら音を立て、まるで、軽快に飛び舞っているようです。  

石畳の道を踏んで、広場の正面にはいりました。皇居前の三つの街灯はまるで皇居を守る巨人のようで、静かにそこに立っている。お堀の突き当たりに二つのお堀を越える橋がかかっています。もし、しゃがんで見ると、二つの橋は、重なって一緒になって見える。本当に面白い。  日本の皇居広場は、とても精妙で美しく、忘れられないです。


日本の亀崎小学校を訪問して
徐州市青年路小学校  6(7)班 陳明睿

夏休みのある日、青年路小学校芸術訪問団は、日本の亀崎小学校へ行き、文化芸術交流をしました。 校門に入ってすぐに、2百数名の小学生の手に中国と日本の国旗を持って、道路の両脇で振って迎えてくれました。彼らは標準的ではない中国語を使って、温かい声で「ニイハオ・ニイハオ」と迎えてくれました。わたしたちは、興奮して手を振りました。

習った彼らの言葉の調子で「ニイハオ・ニイハオ」と、ずーっと「ニイハオ・ニイハオ」と耳に絶えなかった。 わたしたちは亀崎小学校の体育館の中についたとき、まず先に、亀崎小学校の校長先生から、温かい歓迎の挨拶があり、そして青年路小学校の校長先生が歓迎のお礼の挨拶をし ました。続いて、亀崎小学校の生徒の代表と青年路小学校の代表が別々に挨拶をし、双方の熱望している友好の気持ちを表しました。  書画の披露が始まりました。

体育館の真ん中に二列に並んだ机に、わたしたちは並んで立ち、墨と筆を準備しました。わたしと書画班の仲間たちは、その場で絵画や書道を書き始めた。わたしは一枚の和紙を出し、格子に折って、筆を持ち、墨汁をつけて、真剣に書き始め ました。

「空山不見人,但聞人語响。返景入深林,復照青苔上。」このとき、日本の小学生の一群が取り囲んで、私が書を書いているのを見ていました。ある2人の男子生徒が私のそばに立って、私が書いた文字を指差しながら、何か言っているけど、私には彼らの言葉がわかりません。私は、彼らがきっと私が書いた文字を評価していると思いました。

私は必ずいい作品を書いて、中国人のために栄光を勝ち取ろうと、気持ちを全部作品の中に集中しました。入れ替わり立ち代り日本の生徒がぐるりと取り囲んで私が書いている字を見ていたが、私はそれに気を取られず、集中して書 きました。20分が過ぎて、私はやっと書き終えた。みんなは、私のために祝福の拍手をしてくれました。

それぞれの瞳の中には、賞賛する光で輝いていて、私はとても誇りに思いました。私と日本の小学生は、一緒にその一幅の書を持ち、みんなで写真を撮りました。みんなの笑顔には、楽しさが満ち溢れていました。書画班の仲間は、次々と自分の作品を書き終え、両手で高く持ち上げて、日本人の仲間に見せて いました。そしてみんなで、次々に作品を持って、このとても美しい瞬間をカメラにおさめました。  

楽団の仲間は、彼らの芸術の披露を始めました。彼らは緑色の演奏用の服を着て、舞台の照明に照らされて、非常に綺麗です。彼らは、中国の特徴である民族音楽「梁祝」と日本の仲間は聞きなれている「鉄腕アトム」など9曲を演奏しました。

舞台の下では、拍手が鳴り止まず、ずーっと続きました。亀崎小学校の仲間達は、私たちの歓迎の意を表すために、彼らも日本の民族特有の「八木節」を演奏しました。それは、力強い音で、旋律は豊かで、とても生き生きした感じでした。

見るもの聞くものすべてが新鮮に感じました。お昼、私たちと亀崎小学校の生徒達は一緒に教室でお昼を食べました。みんな食べながらおしゃべりをし、たとえ言葉がわからないにしても、心はお互いに通じます。食べ終わってから、亀崎小学校の生徒達の送別の歌声の中、私たちは亀崎小学校を惜しみながら帰りました。


日本福祉大学を見学して
徐州市青年路小学校  6(7)   陳明睿

夏休みのある日、私たち青年路小学校芸術訪問団は、日本で最も有名な日本福祉大学を見学に行った。  福祉大学は校門が無く、開放的な大学です。校長先生は、私たちに「この学校は5000名の学生がいて、その中には、95名の中国人留学生、そして130人の身体の不自由な人がいます」と言いました。私はとっても驚きました。私たちは、校庭の中になる大きな道に沿って前に歩いていきました。

路上は、とても広く、目の見えない人用の道(視覚障害者誘導用ブロック)があり、左側には教室へ上がるエレベーターがありました。又、二つの校舎の真ん中にもエレベーターがありました。それは、障害を持つ人は、車椅子のままでは、上がり降りがとても不便なので、身体に障害を持つ人のための専門のエレベーターが設置されていました。私はそれを見たとき、とても感動しました。  

私たちは校長先生について階段で上へ上がりましたが、そのとき、私は毎階の階段の手すりには、たくさんの出っ張った点に気がつきました。校長先生は、「これは、目の見えない人のために設置されています」と説明があり、視覚障害者の方は、これを触って確認することができます。ここでは、視覚障害者用の本やブロックが設置され、健常者に比べて、更に手厚い待遇を受けられていると感じました。  

私たちは続いて見学し、図書館へ着きました。図書館はとても大きく、数え切れないくらいの本や、AV機器があるにもかかわらず、塵ひとつ無く汚れてないし、床には紙くずひとつない。図書館の床は、大理石を使って作られており、路面には、目の見えない人用の道(視覚障害者誘導用ブロック)が設置されていた。

私は普段、ただ街でこのようなブロックを見たことがあります。でも、日本福祉大学は、意外にも図書館の中にもあり、日本人の細やかな心使いに驚かされた。ここの本はとても種類が多く、大学生の為の本ばかりではなく、子供達が見る漫画の本もあ りました。

日本語の本、英語の本、漢語の本ばかりでなく、目の見えない人が読める本さえもある。私はその本をちょっと開いてみました。本には見えない文字があり、手でちょっと触ってみた。すべて小さな点で表されてい ました。

図書館の中には、コンピューター室もあり、整然とコンピュータが並んでいました。そのうちの一台のコンピュータは、障害のある人用のコンピュータでした。この中には、まだ他に、障害のある人が1人で勉強できる机も設置され、本当にいたるところで、福祉大学の校長先生の並々ならぬご苦労や人に対する心使いを感じることができました。

 私たちは、ちょっと本を見てから、図書館を出ました。通訳の人が私たちを連れて、身体の不自由な人の為のトイレの見学に行きました。トイレの中には、障害者の為の手すりがあります。意外にもそこにはベットまであり、気分が悪くなった人のために準備されていました。

私たちは、続いて教室を見学しましたが、どの教室も整頓され綺麗で、明るくて、ブロックも設置されていました。  福祉大学を見学し、私は心から感動を受け、福祉大学は疑いも無く、障害者の為の福祉であると思いました。


南知多ビーチランドを観光して
徐州市青年路小学校  6(4)班   劉茹心


7月12日の午後、わたしたち徐州市青年路小学校訪問団の先生と生徒は一緒に楽しさに満ちた南知多ビーチランドへ行きましたが、わたしにとって、それはまだ記憶に新しい。  

海洋館へ入ると、目の前がすぐに明るくなった。 海賊船と呼ばれている展示館にすぐに目を引かれた。その海賊船の展示館に入ると、わたしは、透明の砂が入った箱の中にいる小さな魚にすぐに引き付けられた。

この種類の魚は一滴の水もない砂箱の中で生活をしています。それは、時々頭を砂の外に突き出していました。まるで外の世界を眺めているようです。又、観客を歓迎しているかのようにも見えた。これらの小さな魚の身長は5センチぐらいで、直径約1センチぐらい、小さくて可愛らしい。これらの小魚の動きで、砂の上に50個以上の小さな穴が開いていました。本当に面白い!

わたしたちは前に進めば進むほど、ますます、いくつかの奇妙な海洋物に引き込まれました。突然、わたしは一匹の小さくて可愛い小エビを見つけました。注意深く見なければ、みんなそれがなんだかわからないでしょう。全身は鮮やかな赤色で、おなかの周りは小さな白い斑点があり、細くて長い白いひげもあり、威張っているようにも見える。まるで、『花木欄』のようです。細くて長いひげは、時々、舞っているように動き、まるで訓練しているようで、思わず笑い出してしま いました。  

もっとも興味があったのは、南極のペンギンでした。冷たい巨大なガラスの中に、9匹の大人のペンギンがいました。わたしはその中の一匹のペンギンがとても気に入りました。胸の前には長い真っ白な羽毛があり、首の前の羽毛は黄金色だ。背中の羽毛は、黒光してる、くちばしには、二本の太い赤い線があり、本当に人から好かれる。人が来るのがわかるかのかもしれない。急いで嘴を使って胸の前の羽毛をちょっと整えている。そして、前後左右に見せている。続けて、可愛い頭を揺らして、背中の毛を整え、まるで、自分の最も美しい一面をみんなに見せようとしているみたいだ。

羽毛が綺麗になったとき、両方の小さな手を揺れ動かしている。すごく可愛い! 羽毛は綺麗に整った、極めて満足したようすで、首を伸ばし、まるで、長官が部隊を検閲しているかのように、振り返り見ていた。続いてそのほかのペンギンも一緒にわたしたちのほうに目を向けて、お辞儀をしている。それはとっても滑稽な動作です。 からかって、みんなはおなかを抱えて大笑いをした。しばらくすると、ペンギンは、スポーツマンのように水の中へ飛び込み、別の石のほうへむかって泳いでいった。ペンギンが楽しそうに遊んでいるのを見て、わたしも心の中で微笑みました。

最後にわたしたちは、アシカとイルカを自分の手で触りました。それに、ペンギンにも餌をあげました。まだ、イルカとアシカのショーを見ました。彼らの生き生きとした演技は、観衆の熱烈な拍手を受けました。  すべて終わり、これらの海の動物たちの可愛い姿は、今でも深く深くわたしの脳裏に残っています。

わたしは、大きくなったら、環境保護の仕事する人になって、これらの可愛い小さな生命の保護をし、かれらが傷害を受けないように、彼らが健康で成長していけるようにしたいと思います。


名古屋電気博物館を訪ねて・・・
徐州市青年路小学校  6(7)班  陳明睿

みんな、電気を感じたことがありましたか? 今日はわたしたち青年路小学校芸術交流訪問団の先生と生徒は、日本名古屋電気博物館を見学し、私たちの視野が広がりました。 わたしたちは、まず部屋の中に入り、壁には、大きなスクリーンかかっており、机の上には、実験用品が置いてありました。

わたしたちは、決められたところに座って、綺麗なお姉さんが質問しました「誰か静電気を見たことがありますか?」と、みんなは次から次へと手を挙げて答え ました。お姉さんは笑顔で言いました「今日は、わたしたちは静電気をつくる実験をしましょう。」お姉さんは青いビニールの紐で作られた毛玉を大きな丸い鉄の上におきました。もう1人のお姉さんが丸い鉄に電気を通した。数秒の時間、毛玉の上の何本かのビニールの紐は立ち上がった。ふわふわしていた。

そして少し時間が過ぎて、何本かの紐がまるで魔法にかかったように空中を揺れ動いている。ほんとに面白い。おねえさんは、「これが静電気です」と説明した。電源を切った後、立っていた紐は又毛玉の上に落ちた。二度と舞い上が りませんでした。  

お姉さんは毛玉と取り、板を持ってきて床に置きました。板の下には四本の白くて短いプラスチックの足がありました。通訳の人がわたしたちに言った「この様な板は地面と絶縁します」先生はわたしと李佳軒を台の上に乗せた。李佳軒は板の上に立った。彼女の頭の髪の毛は、肩の上にかかっていた。一本も乱れず、まるで黒色の絨毯のように。お姉さんは彼女の手を丸い鉄の上にのせさせた。

李佳軒は、少し緊張して、持ち上げ又降ろした。お姉さんは丸い鉄に電気に接続して何秒かしたとき、李佳軒の髪の毛は更に立ち上がった。長い髪は依然として立ち上がっている。みんな笑い転げました。彼女の髪は、益々立ち上がり、まるで黒髪魔女のようでした。彼女は恥ずかしそうに笑いました。電気が止まり、李佳軒の髪の毛は、又元通りになりました。

わたしは李佳軒の指先をちょっと触ってみました。指先は瞬間電気でしびれました。つまり李佳軒の身体の電気がわたしの指を伝って地面まで流れました。  お姉さんは続けてわたしたちに静電気の体験をさせてくれました。彼女はわたしたち小学生に取り囲まれてしまい、手を引っ張られました。彼女はもっとも前の小学生に静電気を接続し、わー!と声を発し、電流はわたしたちの手を伝って、みんなの身体まで到達 しました。やっ!とみんなは、申し合わせたかのように叫び始めました。

お姉さんは、「電気は毎秒地球を7周半回ります」とわたしたちに話しましたが、実験を通じて、わたしたちは自分自身で電気の速度を感じることができました。  わたしたちは電気博物館を続けて見学し、実際に自分の手を動かして実験したりして、わたしたちは、電気が、熱を発することもできるし、光を出すこともできるし、音を発することもできるし、映画を放映することも出来る・・・電気の作用は本当に大きい。

 

最後までお読みいただき、ありがとうございました。(管理者)上に戻る


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