半田国際交流協会
Handa International Association


 

徐州市バスケットボールチームの高校生より
半田滞在の感想文が届きました。
張楠さん張蒙さん


「日本旅行で感じたこと」  張楠(ジャンナン)


日本での一週間の滞在で、私は大変多くのものを見たり、また見聞を大いに広めました。同時に、たくさんのことに心を打たれました。

日本は先進国です。国民の素質だけではなく、経済や科学技術の発展水準も高いなど、本当にすごいです。私に最も感動を与えたのは、日本人の生活習慣が特に良いということです。

私が学ぶべきところがたくさんあります。 日本には中国と比べられないほどのたくさんの長所があります。それらのほとんどは、日本人の国民の素質の高さに有ると思います。

たとえば、レストランで食事をするとき、大きな声で騒いでいる声はほとんど聞こえてこないし、食べ終わった後でも、みんなとても静かにお椀や箸をトレーの中に置き、腰掛は元の位置に戻す。そして、礼儀正しく店主にお礼を言って去る。又、お店では、人がとても多いときは、みんな秩序正しく並んでいる。

公園の中では、ゴミひとつ地面に落ちていないばかりか、みんなは自覚してゴミを種類別にゴミ箱に入れているのを私たちは見かけました。日本の環境は特に綺麗です。私たちが履いている靴も、一週間磨かなくても汚れていない。みんな想像できますか?

いくつかの出来事が私たちに強い印象を与えました:

ある日、私たちがレストランへ食事に行ったとき、1人の仲間が不注意でご飯を床にこぼしてしまいました。レストランの中のウエイトレスがすぐ駆け寄ってきて、床の上のご飯を拾い集めて綺麗にした後、笑顔で、新しいご飯を持ってきてくれました。同じようなことがもし中国で起こったならば、ウエイトレスのあのような良い態度があるはずないでしょうと私ははっきり言えます。
 
私たちが電気屋へ買い物に行ったとき、女性店員の態度もすごく良かった。彼らの笑顔は私たちを恥ずかしい思いにさせました。私たちはデジタルカメラを買うとき、彼女は、すぐに型式などに手を貸してくれ、いろいろと説明をしてくれました。

重要なのは、彼らが終始笑顔で、面倒がらずに説明をしてくれ、質問にも答えてくれる。私たちのためにずーっとそばに居て、すべてうまくいった後、やっと安心して次のお客さんを迎えている。中国の店員ならば、きっとこのような良い態度や忍耐力はないでしょう。

 日本人の時間的観念も特に強いです。私たちが新幹線に乗って名古屋駅に着いたとき、半田市の市役所の人や先生達は、みんな列車の前で私たちを迎えにきてくれていました。

私たちの半田での活動期間、大人も子供もみんな時間的観念が強いことがわかりました。又他に、日本では、東京や京都はもちろんですが、半田でも、私たちは、泥棒や物乞いをしているような人を見かけませんでした。

最後の数日、私たちは、半田のホームステイ先に泊まりました。私の日本でのお父さんやお母さんの家は、二階建ての一軒家で、とても綺麗で、家電はすべて整っていました。自家用車も3台あり、祖父母が一台、お父さんが一台、お母さんが一台です。家にはとても元気な犬がいて、立つと私より背が高いです。

半田の両親や家の人たちは、私たちにとても温かくて、本当に感動を与えてくれました。 別れの時、とても別れがたくて、私たちは、顔をくしゃくしゃにして泣きました。


今回の日本旅行で、私はとても変わりました。自分自身の中で変わったことがたくさんです。

帰国後、日本、特に半田市はとても心に残り、半田の両親や家族がいつも私の夢に出てきます。私はこれから、もっと頑張りたい。そしてもう一度半田へ行きたいです。


 忘れ難い事・・(私の日本旅行) 張蒙(ジャンモン)

とっても小さいときから、私は、日本と言う国にとても憧れていました。最も行きたい国はどこですか?と人に聞かれたら、いつも私は少しもためらわず、日本と答えていました。


ついに、その憧れが現実となったんです。私は自分の夢が実現する旅行の機会を得たのです。感激の気持ちの中、私は日本へ向かう飛行機の中に乗り込みました。そして興味津々かつ素晴らしい旅行、日本旅行がスタートしました。


まず、東京駅、それは私の想像をはるかに超えた大都会でした。上海も大都会ですが、しかし東京の綺麗さには決して及ばない。そして何日かの旅行で、私は心の底からこの国を尊敬し始めました。


1. 東京ディズニーランドにて

電車に乗ってから私の心は感激し始めました。それは30分後には、私たちはかの有名な東京ディズニーランドに到着するからです。駅に到着したとき、まだ入園していないのに、私たちはもう楽しくて興奮していました。人はとっても多いのですが、そんなに混雑していなく、入り口の係員は、笑顔でまじめにチケットを受け取っていました。そして、ついに私たちの番が来た! 

中に入って、私たちみんなは、びっくりしました。とっても美しい、私たちは、深く一呼吸をして、夢ではないかと確かめた。ディズニーランドの中は、おびただしいばかりの人でしたが、地面には、ひとつのちり紙もゴミもなかった。日本の国民マナー意識は、とても高いと、私たちは思わず感心してため息をつかずにはいられなかった。それと同時に、私は一種の恥ずかしさを感じた。中国はなぜ遅れている?日本はなぜ進んでいる?  

ジェットコースターに乗ったとき、私たちは狂ったように大声で叫びました。それは、刺激を受けたせいでもありますが、心の中で感じていた恥ずかしさを大声とともに発散していました。


2. レストランでのエピソード


ある日、私たちは、レストランに食事に行きました。そこでウエイトレスが笑顔で私たちの注文を受けた。言葉は通じませんが、しかし私たちは、彼の辛抱強さを感じ取ることができました。

はじめ、私は彼がずーっとこのように笑顔でいるとは信じなかった。しかし、1つの小さなハプニングで私の考えは変わりました。 私たちの仲間の1人が不注意でご飯を床にこぼしてしまいました。絨毯なので、拾うのはとても面倒です。

もし中国ならば、ウエイトレスは絶対不満げにうらみごとを言うと思います。でも、このような状況ならば、彼は笑顔であるはずがないと思った。ところが意外なことが起こった。ちょっと見て、その彼は、すばやく二枚のタオルを持ってきて、絨毯の上に散らばっているご飯をそのタオルを使って細かく拾った。そして、心配でおちおちしていられない仲間に新しいご飯を持ってきてくれた。かれは終始笑顔であった。そのとき、私はびっくりしました。

もし中国人にもこのような思いやる気持ちがあれば、中国は豊かになれないはずがないのです。 私たちに足らないものは、そのような思いやる気持ちです。


3. 忘れられない半田市


1,友好試合

日本での四日目、私たちは半田市へ着きました。半田市の選手達といくつかの友好試合をしました。私は半田の選手達の負けまいとする強い精神力に感動させられました。

試合場で、双方のチームの身長は明らかに差があり、半田チームの中の一番背の高い選手と私たちのチームの最も低い選手と同じでした。しかし、彼女達のプレイは、あのように粘り強く、最後までやり通す。士気は崩れない。私は、私自身の日頃の訓練がだらけていると思い、とても恥ずかしく思いました。


2,心温かい半田の家族   

半田で、私たちは日本の家庭に滞在しました。私が泊まった日本の家は、大きな庭があり、とても綺麗でした。お父さんもお母さんも私に対して至れり尽くせりでお世話をしてくれ、私に異国に居ながら自分のふるさとに居るような温かい家庭を感じさせてくれました。言葉が違い通じないけれども、筆談をしたり、身振り手振りでお互いの交流をしました。

二日間、私の心の中で、この日本の家がとても愛おしくなりました。お父さんやお母さんやすべての家族の人を愛おしく思うようになりました。俗に言う「世界どこでも解散のない宴会はない」と。私たちはもうすぐ帰国します。送別会の宴席で、お母さんが私を強く抱きしめてくれたとき、涙は止まらず、わたしの涙も堤防が決壊したように流れ出た。

さようならお父さん、お母さん!さようなら半田の仲間達!私はみんなのことが大好きです。 名残惜しみながら、感動の中、私たちは帰国しました。私の日本旅行は、まるで私の魂が厳かに洗礼を受けたかのようでした。短い旅行でしたが、永遠に残る、又美しい思い出となりました。


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